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TWA 1941/04 ROUTE OF THE STRATOLINERS
1941(昭16)年4月
TRANSCONTINANTAL AIRLINES (米)
230mm×102mm 15頁
日本を焼き尽くした「空の要塞」のルーツが登場

雲の上をゆく快適な空の旅
 気圧の低い上空を飛ぶ飛行機は、与圧装置で客室の気圧を地上に近づける様にしています。初の与圧つき旅客機が、表紙に見えるボーイング307「ストラトライナー」でした。雲上を飛行し、悪天候を避けて快適に飛べるということが売りでした。同機は、1938年(昭13)に初飛行の後、戦争勃発までの短い間、パンアメリカン航空とTWAの幹線に就航しました。

兵器に応用された与圧装置
 豪華旅客機への装備という平和利用に始まった与圧装置は、折りしも世界が戦争に向かう中、軍用機−日本本土爆撃の中心となった、ボーイング・B-29爆撃機に装備されることとなります。与圧装置によって、高空を長距離飛行するような作戦が可能となったのです。

 大戦が終ると、戦時中に大量生産された他の機種が数多く放出され、少数派のストラトライナーはかつての先進的な技術を生かす場も無く、フランス系航空会社に買われてインドシナ半島へと送られることとなりました。そして戦後も長らくラオスを中心に東南アジアの空を飛び、その生涯を終えました。航空史におけるその高い意義から、ワシントン・ダレス国際空港に併設されたスミソニアン航空宇宙博物館の分館には、1機が展示されています。


当時、TWAが発行した「ストラトライナー」の紹介冊子。発行年月は残念ながら不詳。
「ストラトライナー」が第一線の旅客機として活躍した期間は、大戦の影響でわずか1年ほどで終わりました。



冊子の中には、「ストラトライナー」の豪華な設備がカラー写真で紹介されています。
上は、機内食の様子とギャレーでの準備風景。現在の国際線も顔負けのサービスです。
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