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Air Laos 1960/07 HORAIRE
1960(昭35)年7月
AIR LAOS
217mm×105mm 5頁
骨董機は三つ巴の内戦をくぐり抜けた

航空会社は政権を映す
 インドシナ半島内陸に位置するラオスは、国としてはそれほど目立った存在ではありませんが、それだけに古き懐かしき時代の日本にも似た、素朴で穏やかな風土が残る土地として知られています。しかし、植民地支配から脱却して安定した独立を得るまで、この国にも長い混乱の歴史がありました。
 ここに紹介するのは、ラオスの航空会社であった「エア・ラオス」の時刻表です。同社は、インドシナ半島を統治していたフランスの支援で、1952年(昭和27)に設立。その使用機の中には、戦前に登場した世界初の与圧装置つき旅客機である「ボーイング307 ストラトライナー」もありました。かつてパンナムやTWAで活躍し、大戦とその後の急速な航空機の発展の影に、わずか10年もしないうちに幹線から消えた「骨董機」は、ひっそりとインドシナ半島の片隅でその余生を送ることとなったのです。。
 その後、ラオスは混迷の時代に入ります。この時刻表が発行された頃である1960年前後は、まさに王国派・親米派・民族派(ソ連がバック)が三つ巴の争いを繰り広げていた時代でした。
 結局、3派は1962年(昭37)に連合政府の形成に合意するのですが、王国系のプーマ殿下が首班となったことから、この時、エア・ラオスは新会社である「ロイヤル・エア・ラオ」に衣替えとなっています。

 その後、インドシナ半島はベトナム戦争の時代を経て、1975年(昭和50)に社会主義政権が確立。その航空会社は再び「エア・ラオス」を名乗ることとなるのでした。


当時、エア・ラオスの国際線は、首都ヴィエンチャンと香港・バンコク・サイゴン・プノンペンを結んでいました。
使用されていたのは本文でも触れた、ボーイング307・ストラトライナー。
また、ラオスは山岳地帯が多く、地上の交通があまり整備されていないこともあり、国内線網も意外に発達していました。
この時刻表でも、ヴィエンチャンやルアンプラバンを中心に、13都市が結ばれています。
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