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Deutsche Lufthansa 1935/07 LUFTPOST NACH SUD-AMERIKA (南アメリカ行き航空郵便)
1935(昭10)年7月
DEUTSCHE LUFTHANSA (独)
210mm×149mm 二つ折
航空郵便が大洋を越えた

――全力で回る2つのプロペラの咆哮が、全長18フィートの機体を震わせている。機長がスイッチを入れると、カタパルト操作員の前に「離陸準備よし」のランプがともった。彼が「了解」と応じると、操縦席に「あと数秒でカタパルト射出」のランプが点灯する。(中略)射出レバーが引かれ、発進路の最初の部分での加速度が機体を駆け抜けた。機体の下にある、160気圧の圧縮空気で駆動される橇は、発進路を31.6メートル突進すると急停止し、機体を支持している支えが外れる。機体は時速150キロで洋上に放り出され、すぐに速度を増すと、巡航速度の時速180キロに達した。「ウェストファーレン号」上の張り詰めた緊張は解け、またいつもの海の上の日々に戻るのである。
("The Lufthansa Story":Lufthansa,1980年刊 より)


特異なアイディアが拓いた長距離路線
 最初の一文は、1930年代に大西洋上で行われていた、船上からのドイツ飛行艇のカタパルト射出の様子を描いたものです。
 ドイツは、本国と南米を結ぶ航空郵便路線に熱心で、1933年(昭8)には、アフリカ西岸と南米東岸の間を飛行艇で連絡する、定期航空郵便路線の開設に成功しました。これは、パンアメリカン航空による太平洋横断線の開設に先立つこと2年であり、長距離洋上飛行をする定期航空路線の先駆とも言えます。
 しかし飛行艇とはいえ、途中で燃料補給が必要であり、それを洋上で実施するアイディアとして考え出されたのが、カタパルトを備えた補給船でした。沿岸から飛んできた飛行艇は、補給船の隣に着水すると、クレーンで吊り上げられ船上へ。そこで整備を受け、カタパルトから再び空へという寸法です。
 ここに紹介する資料は、その欧州−南米航空郵便路線の時刻表。郵便機は毎週水曜日23時30分にベルリンを出発し(郵便局締切は21時)、アフリカ西岸で表紙に描かれている「ドルニエ・ワール」飛行艇にリレーのち、土曜日にリオデジャネイロ、日曜日にブエノスアイレスに到着というスケジュールでした。

 ルフトハンザは、補給船による大西洋横断航空郵便路線実施の前に、客船にカタパルトを備え付け、着地入港前にそこから郵便機を飛ばし、船よりもいくらか早く郵便を到着させるという試みも行っていました。
 なお、飛行艇を収容する補給船は4隻造られ、一部は北米向け郵便路線のために使用されました。


裏表紙の路線図。アフリカ−南米の最短距離を飛行し、本国とは3日程度で連絡していたことがわかります。
なお、地図の上には飛行船による便の案内も記載されています。
関連項目

空飛ぶ巨鯨の栄光と悲劇(ツエッペリン飛行船会社、1935年-1936年)
不安の中で世界が集った戦前最後のオリンピック(ルフトハンザ、1936年)
航空郵便でスピードアップ(逓信省、1936年)
時刻のない「時刻表」(ルフトハンザ、1940年)
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