対馬海峡を翔んだ国産旅客機・YS-11

 韓国・釜山と対岸の福岡との間には、1960年代後半から日本航空と大韓航空によって空路が開かれました。飛行時間わずか数十分という、異例の短距離が特徴的な路線です。
 さらに珍しいことに一時期、日本が誇る国産旅客機である、YS-11が使用されていました。同機は国内線を中心に運航されており、国際線に使われるのは世界的にみてもほとんど例がありません。
 上は、日本航空の1969年(昭44)4月の時刻表より。
 右から3列目に表示されている、大阪発福岡経由釜山ゆき971便にYS-11が使用されています。(大阪・福岡間は国内線としての運航)
 これは純然たる日航の機体ではなく、当時、国内ローカル線を運航していた日本国内航空(JDA)の機体をリースしての運航でした。しかし、他社からのリースとはいえ、機体は日本航空のフルカラーで、「あそ」という愛称がついていました。

(同機は上記の経歴もあってYS-11の中でも注目される機体のひとつでした。そのせいか、2006年9月に日本におけるYS-11の旅客便運航が終了するほぼ最後の時期まで、日本エアコミューターで運航されました。)
 大韓航空の1969年(昭44)10月の時刻表より。
 同社はこの年の春からYS-11を導入し、日本向け一部路線と国内線に使用しました。その後、北朝鮮へのハイジャック事件もありましたが、1970年代中頃まで使用されました。
 1969年当時は、上に見える釜山発福岡ゆき301便の他、釜山・大阪便もYS-11で運航されていました。

 搭載力の小さいYS-11に代わって両社ともやがてボーイング727等のジェット機を投入し、YS-11は国際線から退きました。
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