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「鉄馬は走りたい」−分断された朝鮮半島(南北鉄道分断点の看板より)

半島の大動脈は南北に分断
 植民地支配から解放されたアジアの国々は戦後、東西対立に翻弄され、朝鮮半島やベトナムのように「分断」という深刻な結果も発生しました。
 1950年(昭25)6月、朝鮮半島では北朝鮮軍が38度線を越えて南進。朝鮮戦争が勃発しました。南北双方からの押しつ押されつの戦いの末、朝鮮半島は「休戦」という状態で分断されたまま、現在に至っています。かつては大陸内部へと続いていた鉄道も、軍事境界線手前で打ち切りとなりました。

(時刻表の発行年月にリンクがあるものは、内容の一部をご覧になれます。)
Korean Travel Guide 1956/10

1956(昭31)年10月
181mm×127mm 100頁
緊張の中で復興が進んだ韓国国鉄の歴史
 左は、韓国を代表する旅行会社である大韓旅行社発行の時刻表。鉄道以外に、航空・バス・船の時刻も掲載されています。下は韓国の鉄道を統括した、政府の交通部発行で、貨物列車も含めた全列車の時刻を網羅した業務用です。
 動乱後の1955年(昭30)からは、ソウル・釜山間に特急「統一号」が運行開始。他に、ソウル・木浦間には特急「太極号」といった愛称も見えます。その後、下の時刻表発行時のダイヤ改正では特急「ムグンファ号」(むくげ=韓国の国花)も増発され、大幅な時間短縮が達成されました。
 戦時の破壊から立ち直って今日の基礎が出来つつある様子がうかがえますが、中には国連軍や韓国軍専用列車も見られ、南北接点の緊張も伝わって来ます。

 ちなみに左の時刻表で、航空機は「汝矣島空港」発着と記載されています。汝矣島(ヨイド)はソウルを流れる川・漢江の中洲で、現在は国会やオフィスビルが立ち並んでいますが、かつては日本支配時代に始まる飛行場でした。発着が金浦(キンポ)空港に移るのは、しばらく後のことです。
Korean National Railway 1960/02

1960(昭35)年2月
260mm×188mm 84頁


南北分断された路線、京義線のソウル・ムンサン間。(現在南北連結工事が進行中)
「M」は貨客混合列車(Mixed)、「UN」は米軍用列車を表します。
Korean National Railway 1962?

1962(昭37)年?
185mm×130mm 80頁
軍事クーデター
 1960年代早々、韓国は歴史の大きな転換点に直面します。上右の時刻表の発行された頃、1960年(昭35)年4月には、戦後12年に渡って続いた李承晩政権が倒れ、翌年の1961年(昭36)年5月16日、朴正熙らがクーデターによって実権を握りました。その後長く大統領として君臨した彼は、韓国の国力発展を重視し、驚異的な経済成長の途上にあった日本との関係改善に本腰を入れます。
 左の時刻表は、軍事革命の翌年頃に大韓旅行社から発行されたもの。発行年月の明示はありませんが、内容から1962年(昭37)夏頃のものと推定されます。
 この頃に運転を開始したのが、ソウル〜釜山間の特急「再建号」。「再建」とは、前述のクーデター直後に成立した行政機構「国家再建最高会議」にも通じる、当時のキーワードでした。

 時刻表内部は、漢字で書かれた1956年のものと違い、ほとんどすべてハングルと英語で書かれています。表紙にはアメリカ風の車両のイラストが描かれていますが、当時、実際に韓国国鉄で活躍していた車両とは異なります。
韓国国鉄の近代化を支えた日本製新型特急車両
 軍事革命の4年後、内外の反対の中で1965年(昭40)、日韓基本条約が成立し、日韓は国交を回復。本格的な経済協力の時代が開幕したことに伴い、日本からの車両の導入も進みました。その頂点に位置するのが、1969年(昭44)からソウル・釜山間に運転を開始した「観光号」用固定編成客車です。
 その頃使用されていた、戦前の旧朝鮮総督府鉄道の生き残りや戦後の韓国製車両と違い、電源車から編成全体への集中給電方式など、当時の日本のブルートレインの技術を応用したクリーム色地に青い帯の軽快な外観の客車は、同時に導入された米国製ディーゼル機関車との組み合わせで、6月からソウル・釜山間を55分短縮の4時間50分で走破しました。
 下の「列車時刻表」は、そのダイヤ改正時のものです。(交通教養助成会発行)

 「観光号」による高速運転や車両設備の向上は、その後現在も活躍する「セマウル」号などの基礎となりました。もし、1961年(昭36)の政変が無ければ、その後の韓国の歴史・鉄道史は、また大きく違ったものになっていたのではないかと思います。
Korean National Railway 1969/07

1969(昭44)年7月
175mm×95mm 48頁


ソウル・釜山間の京釜線のページ。
中央やや右、ソウル15時発の第3列車が、当時新設された「観光2号」。
(観光号は定期1往復・不定期1往復の2往復が設定された)
時刻の脇のハングルは列車愛称を示し「豊年号」や「平和号」などが見えます。
関連項目

歴史に翻弄された植民地鉄道(韓国鉄道管理局、朝鮮総督府鉄道局、1910年−1944年)
沃野を貫く国策ローカル線(南朝鮮鉄道、1933年)
日満支連絡急行が駆け抜けた時代(朝鮮旅行案内社、1940年)
「漢江の奇跡」−経済発展へ進む朝の国(大韓航空、1970年−1971年)
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