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Nihon Yusen Kaisha 1952?

楽しい!船の旅 御案内
1951(昭26)年?
日本郵船
182mm×87mm 三つ折
Nihon Yusen Kaisha 1952/03

東京−釧路定期 雲仙丸
1952(昭27)年3月
日本郵船
200mm×101mm 三つ折
混乱する陸上輸送を補完した内航海運

海の東海道線
 終戦後の鉄道輸送は、大混雑や設備の老朽化・石炭不足による運転不能等で、混乱状態にありました。それを補完する目的で、各地を結ぶ長距離航路が運航されました。
 これはその一つ、阪神・東京・北海道航路の案内です。鉄道に比べ、相応の設備とサービスを受けられる船旅は、乗客にも好評だったようです。

よみがえった戦前の名門会社
 運航は初め、戦争中に設立された「船舶運営会」という、船会社の共同運航組織があたっていましたが、やがて各々が自社の船を使用して、独自運航するようになりました。
 上で紹介している日本郵船は、戦前、数々の豪華客船を擁した日本を代表する一社でしたが、この頃は生き残り船を集め、復興輸送に力を注いでいました。東京−釧路航路に就航していた雲仙丸は、戦時中に大連航路用として建造された貨客船であり、小樽−阪神航路に就航していた千歳丸は、戦前は樺太航路に就航していました。
 それでは、雲仙丸の案内に掲載されている、釧路航路の旅路を紹介しましょう。

 東京を毎月1の日の午後四時に出帆。釧路まで1,100粁の海路です。日の暮れかかる頃、浦賀水道を通り抜けます。夜がきますと、大島が黒く浮かび、御神火も望見できましょう。海で見る星は、山の星ほどギラギラはしませんが、うるんだようで、とても美しく、印象的です。マストの先についた白い航海灯が星の間を静かにゆれ動いてゆきます。近くには漁火が、遠くには人家の灯りが、又ため息をつくように点滅する灯台の火を、船が波をきってすすむ音をききながらながめるのも味わいのあるものです。夜あけに犬吠埼の辺を通ります。船は濃紺の黒潮にのって北上します。新鮮な潮の香につつまれ乍ら、いるかの群、とび魚、かすかにひとがる山々を眺めるのも旅情をなぐさめ、忘れ難い想い出になりましょう。
 日没頃に鯨漁業で有名な金華山を通過します。三日目の夜があけますと、船は大海の真只中を東北進しております。もはや陸影は全く見えません。連絡船や瀬戸内海では味わい得られぬ、大自然の大きさを感ずることが出来ます。夕方近く北海道の南端襟裳岬を左舷に迎え、茜さす頃、遥か水平線の彼方に二つの山の姿が浮び出てきます。左が雌阿寒岳、右が雄阿寒岳、荘厳な光景です。
 長い旅路のあと、夜半すぎる頃には船は釧路港外に碇をおろし、静かに夜のあけるのを待っております。


東京・釧路航路は月3回、阪神・小樽航路は月1回の運航でした。
東京−釧路航路の場合、東京を16時に出港し、釧路には3日後の午前7時着でした。
関連項目

太平洋によみがえった「氷川丸」(日本郵船、1957年)
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