地図・沿線案内(その1)
−欧亜連絡の旅路いまむかし−


戦前の欧亜連絡−シベリア横断鉄道

 1931年(昭6)に、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現:JTB)が発行した、シベリア横断鉄道を経由してのヨーロッパ旅行案内。ビザの取得から、沿線都市の案内までが書かれています。当時、日本からシベリア鉄道に接続するには以下の4つの経路がありました。

敦賀から船でウラジオストックへ渡り
 A、ハバロフスク経由でシベリア鉄道の旅を続けるルート
 B、東支鉄道でハルビン〜満洲里を経由するルート
下関から釜山に関釜連絡船で渡り
 C、朝鮮の鉄道と満鉄を経由してハルビンで上記Bに合流するルート
神戸から大連へ大阪商船で渡り
 D、満鉄を経由して奉天で上記Cに合流するルート
戦後の欧亜連絡−北極空路のパイオニア

 左は、エールフランスが1958年(昭33)4月に、北極経由パリ〜東京線を開設したときのパンフレット。片面が航路図になっており、もう片面は同社の意気込みが伝わる宣伝になっています。
 目を見張るのは表紙のイラスト! オーロラの下をゆくのは、当時の使用機・ロッキードL-1649A"スーパー・スターライナー"です。

 下は北極空路を開拓したことで有名な、スカンジナビア航空の1960年頃の北極航路図。
 表紙には当時、東京〜アンカレッジ〜コペンハーゲン線で活躍していた、ダグラスDC-7C型プロペラ機が描かれています。アンカレッジ経由路線の開設により、極東とヨーロッパは30時間で結ばれ、時間距離は飛躍的に短縮されました。

 地図の余白や裏面にも、北極探検の歴史や、北極地域の特殊な航法についての説明が書かれており、北極飛行の先駆をもって任ずる同社ならではの内容になっています。


↑ 赤い線が航空路。その他は過去の極地探検家の足跡です。

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