「時刻表歴史館」ホーム > 大陸・南洋へ > 朝鮮旅行案内社(1940) > 時刻表内容
 京義線の時刻表より、京城(ソウル)・平壌(ピョンヤン)間。釜山と大陸各地を結ぶ急行が何本か走っているのが読み取れます。

 現在、臨津江(イムジン川)以北は一般人立入制限区域であり、軍事境界線がその先・長湍付近を横切っています。この京義線は戦後長らく分断されたまま、今に至っていましたが、連結工事が進展中です。

 (上の画像に見える臨津江駅は、当時内地で発行された日本旅行協会の「時間表」等には載っていません。)
 1938年(昭13)、釜山から奉天経由で北京直通の急行「大陸」号の登場時に、朝鮮総督府鉄道局が発行した絵葉書と、そこに押された乗車記念スタンプ。
 絵葉書は「大陸」号の展望車内部ですが、厳しい冬の気候から、展望室(母子が立っている)がオープンタイプではなく全面ガラス張りの密閉式であることや、側窓の二重化が注目されます。外国人や現地人らしき乗客の姿を混ぜ、時局柄、国際的な雰囲気を意図的に見せた広報写真になっていました。
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