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高度成長期の貿易を支えた貨物船航路

再び国際社会へ
 1952年(昭27)のサンフランシスコ講和条約発効以降、日本は再び国際社会の一員として出発します。北米やヨーロッパなどの、関係が正常化された国々との間には貿易が促進され、高度成長の原動力となりました。

造船王国日本の復活
 こうした貿易を支えた重要な立役者として、貨物船があげられます。戦時中にほとんどの外航船舶を失った日本は、戦後続々と大型船を建造して世界中の航路に就航させ、造船王国の名をとどろかせました。
 こうした貨物船は10数名の船客も乗せることが出来、海外旅行が一般的でなかった時代の渡航手段としても活躍していました。

 この頃の貨物船はいわゆる「ばら積み貨物船」で、シルク・ルーム(絹製品の船倉)や冷凍庫も備えていましたが、やがて積荷の専門化が進みます。また、制御の自動化も進み、少ない乗員で運航が可能な船に変化していきました。
Osaka Shosen Kaisha 1958/04

1958(昭33)年4月
214mm×103mm 四つ折


左および上は、ニューヨーク急航線(パナマ運河経由)のスケジュール。
ニューヨーク急航線は、1930年(昭5)に畿内丸が就航して以来、同社の看板航路。
日本を出港後、フィリピンに寄ってから再び日本に戻り、北米に向かっていました。
予定表には「ありぞな丸」「はわい丸」「ほのるる丸」「めきしこ丸」等が見られます。
 下は、大阪商船の豪州航路の運航予定表です。オーストラリアとは1957年(昭32)に日豪通商協定が締結されました。以来、伝統的な羊毛の他、鉄鉱石などの工業原料の輸入が日本の重工業を支え、日本の工業製品がオーストラリアに輸出されるという相互補完関係が築かれています。
Osaka Shosen Kaisha 1959/07

1959(昭34)年7月
214mm×103mm 四つ折


神戸・シドニー間の所要日数は、直行で約12日間。
船客運賃は106オーストラリア・ポンドでした。
(オーストラリアの通貨単位がドルに変更されたのは、1966年のこと)
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