戦後日本の船会社
戦後、海外への交通としての船旅は限られたものになりました。
しかし、ここに紹介する国内航路の案内からは、
自然に抱かれ、異郷に思いを馳せ、波路をゆく旅人の姿が見える気がします。
関西汽船
主要航路 定期・運賃表 1953年(昭28)4月


就航航路:阪神〜別府・琉球・四国各港 ほか多数
就航船名:あかね丸、あけぼの丸、こがね丸、にしき丸、ひかり丸、るり丸 等


・戦前からの生き残り+戦後の新造船で運航。
・当時は不定期でバンコク航路もあった。
・別府へは、「別府レクリエーション・ボート」として、回遊ルートが設定されていた。
・鳴門の渦潮観潮客向けに特別便が運航されていた。

[この年…NHKテレビ本放送開始、エベレスト初登頂]
関西汽船
別府・松山航路 1955年(昭30)8月


就航航路:阪神〜松山〜別府(高松又は今治に寄港)
就航船名:るり丸、こがね丸、にしき丸 等


・大阪〜別府は所要18時間。
・毎日、夜行便が2往復設定されていた。
・5年後、「くれない丸」「むらさき丸」就航で全盛期に。

[この年…宇高連絡船「紫雲丸」沈没、アジア・アフリカ会議開催]
1962年(昭37)から1971年(昭46)の関西汽船の時刻表は本館をご覧下さい。
瀬戸内海汽船
時刻と料金 1972年(昭47)3月


就航航路:広島〜呉〜今治・松山 ほか多数
就航船名:(記述なし)


・瀬戸内海横断航路の老舗。
・表紙は、双胴船として有名であった「シーパレス」。
・当時の大河ドラマに関連し、「平家史跡めぐり観光船」も運航。

[この年…山陽新幹線が岡山まで開通]
1956年(昭31)から1968年(昭43)の琉球海運の案内は本館をご覧下さい。
琉球海運
出帆予定表 1970年(昭45)6月


就航航路:東京〜那覇、鹿児島〜那覇、那覇〜基隆 等
就航船名:とうきょう丸、ひめゆり丸、おとひめ丸 等


・1972年(昭47)の沖縄返還が前年に決定。
・東京〜那覇線は一週間に一回出帆。
・鹿児島〜那覇線は2日おきに出帆。
・運賃/料金は円建てとドル建てを併記。
・表紙のイラストは「ひめゆり丸」を描く。
稚内利礼運輸
りしり れぶん 1959年(昭34)?


就航航路:稚内〜鴛泊〜香深、稚内〜船泊〜沓形 等
就航船名:利尻丸、礼文丸、利礼丸


・稚内と利尻、礼文島を結ぶ。
・今日の東日本海フェリーの前身。
・当時は200トン程度の小型船で運航されていた。
・女性ガイドが乗船して案内していた。
・利尻のみどころ案内に「樺太犬」。

[この年…南極で樺太犬タローとジローが生存]
日本沿海フェリー
運航日程表 運賃・時刻表 1971年(昭46)12月


就航航路:東京〜苫小牧
就航船名:しれとこ丸 (同年夏より「えりも丸」が追加)


・近海郵船の東京・釧路線に次ぐ北海道向けカーフェリー航路。
・1972年(昭47)4月27日の東京発が第一便。
・以降夏までは3〜4日に一便の割で双方を出港。
・8月4日より同型船「えりも丸」就航で便数倍増。

[この年…雫石で全日空機と自衛隊機が空中接触]
志摩観光汽船
志摩観光案内 1954年(昭29)12月


就航航路:賢島〜浜島、賢島〜和具 等
就航船名:あやめ丸、はまゆう丸、ハッピー 等


・鳥羽湾観光船と、志摩半島南部の定期航路を運航。
・表紙は志摩松島巡りに就航の「あやめ丸」。
・所有船舶は約40隻程度で、「あやめ丸」の100トンが最大。
・各航路は、鳥羽・賢島間の三重交通の電車に接続して運航。

[この年…青函連絡船「洞爺丸」が台風で沈没]
琵琶湖汽船
びわ湖めぐり 1957年(昭32)?


就航航路:浜大津〜竹生島、彦根〜竹生島 等
就航船名:はり丸、京阪丸、白鳥丸 等


・表紙は1951年(昭26)就航の豪華観光船「はり丸」。
・船内催し物に、「冗談音楽ショー」「のど自慢」。
・食堂、バー、浴場があり、テレビも装備。
・京阪電車には、大阪の天満橋から、びわ湖めぐり連絡の専用特急(座席指定)が走っていた。
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