「時刻表歴史館」ホーム > 冷戦の中で > エア・ベトナム(1970-74)、ベトナム航空(1984)
戦火の果てに消えたエアライン−そして復興

日本にも乗り入れ
 下2枚は、旧南ベトナムにあった航空会社「エア・ベトナム」の時刻表です。当時はベトナム戦争の最中でしたが、1969年(昭44)7月よりサイゴン(現・ホーチミン)から大阪経由で東京に乗り入れていました。当時、ベトナム上空を飛行する民間機からは、北爆に向かう米軍機とすれ違ったり、夜間は地上に戦火がパチパチと輝くのが見えたこともあったそうです。

アメリカの介入の高まりとともに
 ベトナムは、戦前の植民地時代から伝統的にフランスの影響が強かった土地で、エア・ベトナムもかつてはフランス製の機体を使用していました。しかし、この時刻表の頃にはアメリカ製のボーイング727を使用し、こうしたところにもアメリカの介入の強化がうかがえます。これはパン・アメリカン航空から購入した機体でした。

 1973年(昭48)にはベトナム和平協定が調印されましたが、戦火は止むことなく、同社は、1975年(昭50)の南北ベトナム統一とともに消滅しました。
AIR VIETNAM 1970/04

1970(昭45)年4月
145mm×78mm 三つ折
Air Vietnam 1974/11

1974(昭49)年11月
145mm×78mm 四つ折


翌年に南北統一という運命を控えた冬に発行された、実質的に最後の時刻表。
1973年(昭48)の和平協定を機に、同社はボーイング707を導入し、ロゴも変更。
新たな歩みを踏み出したかに見えましたが、それも長くは続きませんでした。
戦争の傷跡が残る山河を飛んだソ連機
 エア・ベトナム消滅後のベトナムでは、国防省が管轄する「ベトナム航空」(ハンコン・ベトナム)がフラッグキャリアとして活動を始めました。下に紹介した時刻表は、ベトナム再統一から10年が経過しようとしていた頃の同社の時刻表です。同社は首都・ハノイを中心に、近隣諸国への国際線やダナン経由ホーチミン行きの国内線を運航していました。共産主義陣営の一員だけに、使用機種もソ連製のツポレフTu-134やアントノフAn-24が使われていたことがわかります。

 ベトナムは1986年に「ドイモイ」として知られる改革・開放路線に転じることとなります。ベトナム航空も1990年に国防省の管轄を離れて商業航空としての体裁を整え、以降は日本を含む西側諸国への乗り入れも進みました。
VIETAM AIRLINES 1984/10

1984(昭59)年5月?
208mm×95mm 二つ折



ベトナム全土が共産化したことで西側諸国への路線は無くなりました。
しかし、かろうじてバンコクに乗り入れていたのが目をひきます。
航空会社コードはエアベトナムの"VN"を引き継いでいました。
関連項目

仏印に発達したバス路線(インドシナ交通会社、1936年)
安息の地への直行便「R&Rフライト」(パンアメリカン航空、1969年)
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