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Fuji Sanroku Railway Bus 1952/06 乗合自動車時刻表
1952(昭27)年6月
富士山麓電気鉄道 御殿場出張所

190mm×70mm 六つ折
米軍基地とともに生きる地域

東西対立最前線への兵站基地となった日本

 ここに紹介するのは、富士山東麓・御殿場を中心とした路線バスの時刻表です。タイトルや地名に英文が併記されている点が目をひきますが、これは当時この地域が、米軍キャンプを多数抱える「基地の街」であったことを象徴しています。
 土地収用や騒音・犯罪といった基地問題は今日でも存在します。しかし、戦後間もない時代には、日米関係はまだ「敗者と勝者」「貧しいものと富めるもの」であり、日本人は平和と自主独立を望みながらもまず生きることに必死であった上、朝鮮戦争などアジアの地域紛争や核戦争の恐怖が現実に隣り合わせという、今日とはまた違った複雑な様相を呈していたようです。
 東富士では、1955年(昭30)に核弾頭搭載可能な地対地ミサイル「オネスト・ジョン」の試射が強行され話題となりました。また、当時の文献には、学校隣の繁華街に米兵相手の娼婦がたむろして嬌声が絶えなかった等の様子が書かれ、他の基地周辺と同様、風紀問題が懸念されていたことも分かります。

 時の流れとともに、かつてほどは基地を目の当たりにする地域は少なくなりました。東富士でも米軍キャンプのほとんどはこの時刻表の数年後までに撤収し、一応の平穏を取り戻したようです。しかし、日米による演習場の使用と自衛隊の駐屯は続き、軍用施設問題の根本的な解決には至っていません。


時刻表には、東富士演習場の周囲に駐留した「サウス」「ミドル」「ノース」の3つの米軍キャンプが記されていました。
上はその一部で、商店広告の横文字も米兵が溢れていた時代を偲ばせます。
なお、富士山麓電気鉄道は、今日の富士急行の前社名です。
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