"マンダリン・ジェット"がゆく(その1)
−民航空運公司資料館−


謎の航空会社との出会い
 この航空会社に私が初めて出会ったのは、今を遡ること15年程前でした。
 たまたま手に入れた、1963年(昭38)の交通公社の時刻表の巻末には「海外航空」というページがありました。そこには、「下記の航空各社の東京空港発着時刻については空港案内所にお尋ねください」と書かれ、その中に"キャット航空"なる名前があったのです。

その姿が明らかに
 それ以来、この奇妙な名前の航空会社の素性が気になっていたのですが、数年後、某古本屋にあったパンフレット類の山から、これもまた偶然にこの会社の時刻表を発見したのでした。
 その会社とは台湾にかつて存在した"CIVIL AIR TRANSPORT"−現地名「民航空運公司」。そして、この会社についての断片的な知識に接するにつれ、その独特の姿が浮かび上がってきました。
 ここに、その在りし日の姿を公開してみましょう。
国際線時刻表
【中華民国42年(1953年/昭28)1月】


「空の支配者」

 当時の主力はダグラスDC-4型四発プロペラ機でした。DC-4には「スカイマスター」(空の支配者)という愛称がありましたが、同社は中国語訳で「空中覇王號」と称していました。

朝鮮戦争の影響
 下は、時刻表の内部。同社の路線網は台北を中心に、南はバンコクから北は東京までをカバーしていましたが、特筆すべきことは、韓国の乗り入れ先が釜山であること。当時は1950年(昭25)に始まった朝鮮戦争の最中であり、韓国は釜山に臨時首都を移していたためです。

 当時は、民航空運「公司」ではなく、民航空運「隊」と称していたようです。
手荷物ラベルとチケットホルダー 【1953年4月】

 下と右は、1953年(昭28)4月25日にCATに搭乗した、アメリカの軍人が持っていたもの。手荷物ラベルは、就航する各地の風物が描かれた、凝ったデザインで、まさに"THE ORIENT'S OWN"−「東洋ならでは」−というキャッチフレーズを象徴する一枚です。

 右はチケットホルダーの裏表紙ですが、それによると、羽田発午後11時の便で発ち、台北を経由して香港に向かっています。
国際線時刻表 【1957年(昭32)5月】

使用機種について
 使用機はダグラスDC-4とカーチス・C-46でした。後者はあまりなじみがありませんが、日本の航空自衛隊でも長らく使用された双発軍用輸送機です。(埼玉・所沢の航空公園などに今でも保存。)
 またCATのC-46は1951年(昭26)夏、日本で戦後まだ民間航空が再開されていない時期に、読売新聞社がチャーターし、講和条約締結記念に"空からの新生日本の全国訪問"という企画を行ったというエピソードもあります。

当時は岩国にも乗り入れ
 岩国には米軍基地があり、その関係と思われます。このことからも、CATが単なる民間の航空会社ではないことがうかがえるのではないでしょうか。この点については最後に触れます。

 山水画が全面に描かれた、異色の表紙が目をひきます。
内容を見る
 右は、1957年(昭32)に撮影された、CATのDC-4型機です。ソウルでの撮影ですが、金浦空港ではなく、「汝矣島飛行場」となっています。

 現在はソウルのオフィス街・公園として賑わう汝矣島(ヨイド)は、かつては日本時代以来の飛行場でした。

撮影者不詳・館長の入手したアルバムより

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